魚吹津構
別名 津の宮城
勝城
付近住所
姫路市網干区宮内
現在
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2005/11/10
碑・案内板アリ
合田助九郎
小字名を「殿垣内」と言い、周囲は幅5〜6メートルの堀に囲まれていた。嘗ては播磨の中心だった英賀城の出城で、嘉吉の乱(1441年)の時代に、すでに津の宮城との記録があり、天正8年(1580年)秀吉攻の時、城主合田助九郎は部下8名と共に討死、この津の宮も焼討された。別名を勝城とも言い、堀内に門口、番屋口中の門、北の門の地名が残っている。